感想とか

腐ったオタクの長文壁打ち倉庫

シンエヴァネタバレ感想/たぶんこれでラスト/綾波レイのこと/少しアスカのこと

シンエヴァ公開終了ということで。

興業収入100億突破、本当におめでとうございます。

結局わたしは一度しか観に行かなかったというか観に行けなかったし、おそらくソフト化してもしばらくは観ないだろう。何度か感想を書いたが、わたしは新劇場版のターゲットから外れてしまったので……もう少し時間を置いて、人と一緒にワイワイ言いながら観たいと思っている。

さて、今さらだけど一つシンエヴァ感想に書き漏らしていたことがあった。
綾波レイのことである。
綾波レイアヤナミレイ(仮称)のことである。


シンエヴァ前半では、アヤナミレイ(仮称)と第三村の住民との交流が多く描かれる。
数ある綾波タイプのうちの一体であろう彼女が、自分自身の嬉しいことややりたいことに出会い、自己を確立していく……というストーリーだ。
この描写で思い出したのは、新劇場版『破』
のパンフレット掲載の鶴巻和哉監督のインタビューである。

(前略)TVシリーズのときは3人目のレイがうまく描かれていないという想いも僕にはあったので、2人目のレイは『破』で死んでしまった上で、『急』ではむしろ3人目のレイのドラマを濃厚に描きたいと思ってたんですね。
(中略)
「先代のレイがいた」っていう事実と意味を3人目のレイが自覚しながら、クローンとしての自分がどう一個人として自立するのか。そんな物語として描きたいと思っていました。でも「レイは死なさない」ということになって(後略)
«新劇場版:破 パンフレット 鶴巻和哉監督インタビューより引用»

NHKのドキュメンタリーで描かれた制作現場から想像するに、新劇場版のストーリーは最初から最後まで計画的につくられていたわけではなく、都度組み立てられている。
上記のインタビューから読み取れるのは「次作以降で3人目をメインに描く案もあったがそれはボツになった。「急」では、「破」で死なせなかった2人目のレイについて描こう」という考えである。
だが、実際に発表された「Q」には「破」で生存した綾波レイはほとんど姿を見せず、アヤナミレイ(仮称)が新たに登場した。
結局インタビューでのもともとの鶴巻案に近いもの(「急」では3人目のレイを描く)が採用された形だ。しかしその一方「Q」においてアヤナミレイ(仮称)のドラマといえるものはほとんど存在しない。ようやく彼女自身の物語が描かれたのが、「シンエヴァ」の第三村パートなのである。

しかし果たして、アヤナミレイ(仮称)は綾波レイのクローン的存在から脱却し、一個人として自立できただろうか。

シンジに名付けを頼んだが、結局名前をつけてもらえなかった、というのも残酷だが、それ以上に悲しいのが、終盤のロングヘアー綾波の描写だ。

「破」で生存ルートに入ったと思わせておいてその実「シンエヴァ」終盤までほとんど出番のなかった「もともと新劇場版に登場していた綾波レイ」は、ロングヘアー姿で再登場する。
このロング綾波が、ツバメちゃん人形を抱えているということ。
ツバメちゃんとの交流はもちろんアヤナミレイ(仮称)独自の経験であり、綾波レイはツバメちゃんとはなんの関わりもない。
にもかかわらず綾波レイがツバメちゃん人形を抱えているのは、アヤナミレイ(仮称)の経験や思いが綾波レイに吸収されてしまったような印象を受けた。
というか綾波クラウドシステムかなにかでアヤナミレイ(仮称)と同期したということなのか?
このあたりが裏宇宙理論を持ってこられてしまうと何でもアリになってしまい、うまい理屈がつけられない。

ただ、アヤナミレイ(仮称)自体が一個人として自立、独立していたとしても、結局その経験や思いを上位存在に同期されてしまうのだとしたら、それはなんだかやるせない話だとおもってしまうのだ。

例えばシンジとアスカの赤い海の砂浜のシーン、あの海が旧劇のラストシーンに酷似していることから、「あのシーンのアスカはかつての惣流・アスカ・ラングレーも含めた「すべてのアスカ」の象徴」といった感想・考察を何度か見かけた。
だが、かつて旧劇で他者との同化を拒んだ惣流・アスカ・ラングレーを、よく似た姿の別人である新劇場版アスカ(※惣流と式波は生い立ちがあまりにも別物なのでいっそ別人カウントしてもいいと思っている)に同一視するのはなんだか残酷な気がして仕方ない。砂浜式波が惣流の要素を含んでいたとしても、その式波が救われたことをイコール惣流の救いとするのはどうなのか、という……

結局アスカの話になってしまった。



閑話休題

アヤナミレイ(仮称)個人の経験や思いは確かに存在したのに、最終的に綾波レイという枠組みにまとめられてしまったように見えるのが悲しいし、

綾波レイは「破」で生存ルートに進むことが出来たハズだったのに、結局「Q」以降ほとんど表舞台にあがることはなく、別存在のアヤナミレイ(仮称)の思いを同期されてしまったように見えるのも、なんだか悲しい。




う~~~~ん、わからん、終劇

シンエヴァネタバレ感想いまさら追記

前回の記事でだいたい書きたいことは書き上げたつもりだったのですが。
人と話していて気づいた「シンエヴァ許せねぇポイント」があったので記録。
例によって否定的な文章です。



まぁ……ネオンジェネシスしてエヴァのない世界にしちゃえる都合のよさ、ですね。

Qの時点で語られた「槍でやり直す」って、すごくシンジくんにとって都合のよい話で、観ているわたしとしては「そんな上手い話はないよ」って思う部分だったんですね。

ところが、シンエヴァでは槍でやり直すどころか槍で世界を創造してしまう。


考察を全然していないので間違った解釈かもしれないのですが。
最後の駅のシーンのシンジくんはDSSチョーカーをつけている。すなわちあの神木シンジくんは視聴者が今まで見ていたシンジくんとイコールのはず。ただ、駅周辺の風景はニアサードインパクト後の世界とはまるで違うように見える。例えば第3村が14年経ったとしても、あそこまで復興するとは思えない。

なので、シンジくんは今までのエヴァ世界から新たに創造したエヴァのない世界に居場所を移した……のだと思われます。世界線を乗り換えたとでもいうのでしょうか。

そして、駅でのやり取りからしてマリも今までのマリと同一人物と考えられます。そのマリがシンジくんの罪の象徴を取り払って、ふたりで新しい世界に進んでいく……という話なのかなと。

向かいのホームにいた人たちがなんなのかはわからん。なんとなく今までの彼らとは別人ぽい。

とにかく、手を引いてくれる人といっしょに、新たな世界に駆け出していくという終わりかたでした。



旧劇場版において、シンジくんが補完を否定しても、世界はもとには戻りませんし、もちろん新しい世界を作り出すこともできませんでした。まるで滅んだような世界だけが、わずかな希望をもって生きていくことを決めたシンジくんの居場所なのです。

非常にヘヴィーな結末なんですけど、でも現実ってそういうものですよね。起こってしまった事実は永遠に結果として残るし、その過去を抱えて人生をまっとうしなければならない。

首を絞めたり頬を撫でたり罵倒したりしながら、他者と歩み寄ったり突き放したりを繰り返していく。

旧劇で描かれた、ささやかな希望で現実を生きていく……という物語に魅せられた身としては、ネオンジェネシス新世界創造はずるい!!!!って感じでした。
エヴァラストも世界再構築系なのでずるい。


うーん旧劇と新劇場版は別の次元の物語だけど新劇場版世界からはマイナス宇宙·裏宇宙を通じて旧劇世界が観測可能とかそういう解釈にするかな……
やはりTV&旧劇が自分にとっては絶対唯一無二過ぎて、後付けで新劇場版世界に内包されるのがツラすぎるのでひたすら自分に都合のいい解釈で行きます。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ネタバレ感想文

公開から一週間経ったということで。


以下は、初日夜に観てきた人間によるお気持ち文章です。

ふせったーにつらつら書いてたことのまとめとその他思ったことの羅列。

わりと批判的な内容かつ読みにくい文章かつ言いたいこともまとまってないので、そのつもりでお願いします。











う~~~~~~~~ん。

感情をメチャクチャにされましたね……悪い意味で……

というわけで以下、お気持ち長文。




やっぱり惣流・アスカ・ラングレーのオタクとしては突然ケンスケと式波さんのカップリングが発生したのが地雷過ぎましたね。
わたしはテレビシリーズおよび旧劇場版における惣流・アスカ・ラングレーからの碇シンジに対する激重愛憎感情に魅せられていたオタクだったので……
まぁ、そもそも新劇場版のアスカは式波なので惣流オタクはお呼びではないのかもしれないのですが。惣流?今も赤い海の砂浜で瞳孔かっ開いているよ。
今回のケンスケは非常~~~~に格好よかった。ていうかケンスケはテレビシリーズのときからいいやつだよ!!新劇でカットされたけど、シンジくんの家出回のケンスケがすきでな……。
今回、第3村で地に足つけて自立した暮らしを送る成人男性相田ケンスケ氏が、式波のそばに寄り添ってくれること、式波の幸せを思えばよかった。
でもケンスケが格好よければ格好よいほど、格好よい男性に寄り添ってもらうことで式波の孤独は癒された……という、ある種非常に陳腐なオチになってしまったなぁとも思ってしまう。
というか嫌な話、相手のいないキャラクター同士をくっつけたようにも見えますよね……もしそうだとしたら式波にもケンスケにも失礼な話だよ……
まぁ、男女間の関係をすべて性愛と読み解くのは危険かもしれないのですが……少なくともパンフレットのインタビューを読むと、キャストさんはあれを恋愛ととらえているので、演技にそういうニュアンスは入っているのでしょう。
でもさぁ式波さんは誰かに頭を撫でてほしかったって言ってたけど、そこに理想的な理解ある存在が現れて一件落着なんて結末でよいのだろうか……いや本人がいいならそれでいいのだが……自分で自分の頭を撫でてあげられるようになることだってひとつの答えだと思うのだが。

さて今回、式波さんの「好きだった」「わたしの方が先に大人になっちゃった」がショックすぎて危うく映画館の椅子からずり落ちるところだった。
14年は非常に大きい。その理屈は理解できるのだが、わたしはその14年をなにも知らないうえで結果だけ見せられているので困惑してしまう。
式波さんのなかでは破時代のことはいい思い出になってしまったということなのか……まぁ、大変な14年だったはずですものね……まぁ式波の中で好きが過去形になるのはわかるのです。
が、終盤、シンジくんが式波さんに好きだったということを伝えるシーンがあるわけですが……わけですが……

いや、破のときのシンジくん、そんなに式波さんのこと好きだったか……?

破のとき、わたしはポカポカするや翼をくださいを目の当たりにし、嗚呼、新劇場版のヒロインは綾波なんだなぁと思った。
シンジくんが何よりも優先して綾波を助けると断言してた姿を見て、新劇場版の彼の愛情はfor綾波なのだ、と納得した。
でもシンエヴァでシンジくんが、アスカに対してかつていだいていた好意をハッキリと明言したので、まあ大混乱……
わからん……好きって……何???
それって綾波への気持ちとは同じ?それとも違う?教えてくれシンジくん……。
かつて両片想いだったふたりが、それぞれの道に進んでいくという話をやるのはわかるのですが、前提条件として破のときのシンジくんの恋愛観がわからないから、シンエヴァのシンジくんが語るかつての「好き」をどうとらえればいいかわからないよ……!!

(さすがにこの「好き」がテレビシリーズおよび旧劇のころについてを指している場合、何もかもを許せなくなるのでその可能性はスルーで。)

そして式波さんは14年を経て「好き」を過去形にしているわけですが、シンジくんにその14年は存在しないのに、式波さんと同じように「好き」を過去のものにしちゃうのか……ほんとうにそれでいいの?
そして世界と天秤にかけてでも救いたかった綾波、かつて好きだった式波ではなく、シンジくんのとなりに最後にいるのはマリでした!!というオチ!!
わかるけどわかりたくない!!
どこにいても迎えに来てくれるマリは格好いいし美しい!わかる!!胸の大きいイイ女なのも知っている!!でもわかりたくない!!マリが破でぶっ壊したSDATが27以降のトラックに進むようになって、シンジくんたちも未来に進んだ、わかる!!最後書き割りの向こうの現実背景で神木隆之介くんの声帯になった大人シンジくんは現実の生き物として現実の恋愛をする!!わかる!
でもやっぱりマリの存在がどんな成り立ちなのか明確に語られることなく最後主人公とともに歩むパートナーとして描かれるのには違和感。
というか……マリの本命は式波じゃなかったのかい!!!!そこはあくまでも仕事のパートナーだったのかな……貞エヴァの情報含めるとさらに混乱しかないのだよな、マリの存在って……



そして同じく混乱しかなかった渚司令。
いや……メッチャかっこよかったけど!!!!
「リョウちゃん」とかのたまっている場合ではないのですよ司令!???
しかし結局破時点でのQ予告はなんだったのか。あのときの詰襟カヲルくんが渚司令なんです?
さて、渚カヲルくんの愛がアガペーではなくエゴやエロスであったと語られたことが個人的にはつらかった。
そんな……相手が幸せになるところをみたいのはそれで己が幸せになりたいからなんて……そんなんCLAMP漫画理論やんけ……(わたしはCLAMP漫画だいすきです)。
渚カヲルくんの描かれ方としては、今までにない感じだったのでびっくりでした。
(公式から示されるカヲルくん像として、「シンジくんが幸せだと、僕も幸せだよ」はアリだが、「シンジくんの幸せな姿を見て、僕も幸せになりたいな」はナシだと思っていたので……認識を改める必要があると感じた。このふたつには大きな違いがあるので……)



さて、終盤ではEOEのセルフオマージュやらテレビシリーズの映像やらがたくさん画面に出てきて、オタクとしては「知ってる!この構図!」みたいにはもちろんなったのですが……
でっかい綾波リリス。の件。
……正直、シンエヴァリリス、全然美しくなかった……。映像的なショックはここが一番大きかった……。
アニメとかCG系の技術に関して語る知識はわたしには欠片もないので、ド素人が何をいうか!今回のリリスは超すごいんだぞ!と言われればそこまでなのですが……。
個人的には、旧劇リリスに存在していた美しさ、畏ろしさのようなものが一切感じられなかった。
でっけぇ綾波は北上ミドリちゃんにマジレスマジツッコミをされる存在であった。
むしろ狙ってやっていたのか?オタクが旧劇リリス神々しい~~~~とか言って拝んでたから「いやこれはシュールなでかすぎる綾波で、変なものだよ、よく見て、ツッコんで」とわざわざ制作側に言われてしまったのでしょうか。そんな。
まぁリリス以外にも赤い海とか、産婦人科性病の看板とか、カヲルくんと天使像とか、知ってる画面ラッシュや、シンジくんと綾波の間に写し出されるテレビシリーズ映像とかがバンバンスクリーンに映し出され。
わたしはいちおう、新劇場版は新劇場版として鑑賞していたはずなのに、シンエヴァは綺麗に終劇していたかつての物語を再び引っ張り出してきた。
先述したシンジくんと式波さんのシーンは最たるもので。見たことのある風景、見たことのある構図のなかにいる、かつてのふたりによく似たふたりが、過去の好意を清算し合う場面はあまりにもショッキングでした。
旧劇場版で描かれた、傷つけあいながらも、不器用ながらもそれでも他者と生きることを諦めない結末。楽しいことだけでは生きていかれないけれど、楽しいことがあるかもしれない、というささやかな希望で人は生きていけるということが、かつてのエヴァンゲリオンでは描かれていたと思います。
その旧劇ラストとよく似た構図で今回描かれたのは、あまりにも清々しい男女の別れでした。
好きって言ってくれてありがと!僕も昔好きだったよ!今彼によろしくね!じゃあね!みたいな……



イ、イヤッ、


そんなん、

納得、

できるか~~~~~~~~い!!!!


感情が……追い付かんのですよ……


かつてのエヴァンゲリオンが描いた希望は、精神論かもしれない、なんの根拠もないもので、まさにシンジが言うところの「祈りみたいなものなんだ」。しかしだからこそ、誰しもが感情移入しうる可能性があったと思います。

シンエヴァ、登場人物の人間強度がメッチャ強いので……ちょっと眩しすぎましたね。わたしはまだこんな風に大人になれないよ……と目が眩んでしまった。もう普通にいい歳なのに……



まあ要はわたしが強く共感するのはテレビシリーズおよび旧劇場版だった、というだけのことではありますが、それでも。








シンエヴァ
結局、よかったなって思うところもあったし嫌だなって思うところもあったけどでもとにかくエヴァが終わってしまって寂しいやらなんやら!!!
加持さんが死んでたのは悲しいし冬月先生はかっこよかったしサクラちゃんのぐちゃぐちゃ感情はよかったし鈴原夫妻はHAPPYだったけど岩男さんの演技がアニメ声じゃなくて「ああ、妻であり母になったんだな」とショックを受けたし脳ミソ拾うゲンドウには興奮したし式波オリジナルとか式波シリーズとは一体!?となったし加持ジュニアは可愛かったし黒波ちゃんが切なかったしミサトさんが死んじゃったのもやっぱり悲しいし主は来ませりだし~~~~~~~~



……ここまでつらつら書いて、わたしは旧劇のアスカがシンジのことを「気持ち悪い」と言いながらも受け入れてくれたその言動に救われていたのでは、と思い当たった。
上で、新劇の登場人物は皆眩しいと書いたが、テレビシリーズおよび旧劇場版の主要人物は、少なくとも新劇に比べれば昏い。
かつてのエヴァンゲリオンの登場人物ら(特にシンジ、ミサト、アスカ)は、己の欠落や欠点を抱えながらも生きてもがいていくキャラクターだったのだ。
そして、立ち直れなくても泥水啜って這いつくばって生きていくんだっていう……そういう汚れたお互いを受け入れていこうというのが、平成のエヴァンゲリオンだったのだと思う。
しかし令和のシンジくんは、虚構じゃなくて現実で立ち直る強さを手に入れた。カヲルくんのお墨付きの強さを得たのである。シンジくんすごいよ!と謎目線になる己がいる一方で、置いていかないでシンジくん!と焦燥している己もいる。



うう~~~~~~~~ん、駄目人間が成長しないままでもそれなりに幸せになれるって信じさせてくれよ、エヴァンゲリオ~~~~ン!!




とりあえずまた旧劇を観直すか、などと思うのであった。
全然さらばエヴァンゲリオンできてないけど、まぁ、さよならはまた会うためのおまじないなので……



特にまとまらないまま



終 劇

シンエヴァのこと

2021年3月7日の夜を過ごしている。

何事もなければ明日の今ごろ、わたしはシン・エヴァンゲリオン劇場版を観ているはずだ。
公開延期を重ね、ようやくほんとうに上映されることには喜びしかないが、エヴァの完結に向かい合うことは、恐怖だ。

わたしはテレビシリーズや旧劇場版のリアルタイム世代ではない。
実際に映像で作品を体験する前に、立ち読みしたフィルムブックで結末だけを確かめていた。もちろん最後だけ見てなにがわかるわけでもないのだが。
当時のわたしには、どうやら「エヴァ」という作品が凄いらしいという知識だけがあり、そこからの好奇心ゆえにフィルムブックを覗いた……ような気がする。

その数年後にテレビシリーズや旧劇場版、新劇場版序をDVDレンタルで観たはずだ。

新劇場版は破から映画館で観た。Qは初日に観に行った。序は劇場で再上映されたときに観た。

わたしは惣流・アスカ・ラングレーが好きで、旧劇場版が好きなので、新劇場版に対して旧劇ほどの思い入れはないと自己分析している。

しかし明日、上手くことが運べば、わたしはネタバレに触れずにエヴァの終わりを見届けることができるのだ。前述のとおり、テレビシリーズや旧劇は終わりを知って、その後に観たのだ。
明日、結末を知らないエヴァを観ることができる。
それは千載一遇のチャンスであり、今後の人生で遂げることはできないだろう体験だ。


コロナ禍で映画館に行かなくなって久しいが、さすがに朝イチに観に行くことはできないが、それでも明日、夜の回を観に行く。
感染対策の徹底とトイレコントロールに気を付けなければ。3時間くらいの映画観るのなんてロード・オブ・ザ・リング以来だよ多分……

ヱヴァンゲリヲン新劇場版の結末を知らずに過ごす夜はこれが最後だ。
明日はまっさらな気持ちでエヴァの結末と向き合える。
そして、シンエヴァを見届けた己になる。

こわくて、たのしみだ。


は~~~~シンジくんとゲンドウのバトルなのかな、あの冬服の子はアスカでいいのかな?かわいいな、青葉と日向の拳コツンがアツいね、加持さんは出るのかな、カヲルくんは回想だけなのかな、みんな笑ってくれるかな、最後、終劇って出るのかな。


ああ明日の今ごろはきっと劇場を出ている。

おいでませ、世紀末~『東京BABYLON』そして『X』in 令和~

いや今は平成何年なんですか???


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大昔に東武ワールドスクウェアで撮影した東京タワー。ガラケー画質。


わたしの好きな漫画のひとつに、CLAMP先生の初期作品『東京BABYLON』がある。

可愛らしい絵柄とスタイリッシュなデザインの素晴らしさは勿論、都会に生きる人々の生きざまと共に主要人物3人の人間関係と運命を描くストーリー展開が読者を惹き付ける、CLAMP先生屈指の名作だと思う。
CLAMP作品を完全網羅はしていないのだが、CLAMP作品で一番好きな作品を訊ねられたら、わたしは『東京BABYLON』を挙げるだろう。


さて、この『東京BABYLON』という作品、1993年に完結している。
そしてキャラクターたちのその後がCLAMPの別作品『X』で描かれているわけなのだが、一応それぞれ独立した作品という取り扱いだ。『東京BABYLON』は『東京BABYLON』できちんと完結しているし『X』は『東京BABYLON』の続編ではない。

個人的な解釈だが……
『X』の昴流たちの過去はおおむね『東京BABYLON』のような感じなのだが『東京BABYLON』そのものではない。
同じように『東京BABYLON』の昴流たちの未来がそのまま『X』に繋がるとは限らない。
という感じだ。
(個人的にはBABYLONの直接の未来はX劇場版かな、と思っている。おそらく当時のファンは劇場でさぞショックを受けたことと思うが……『X』16巻を読んでいると、劇場版のあれがトゥルーエンドでもいっそいいのかな……と思うのだ)
ただ『東京BABYLON』を履修してから『X』を読んだ方が面白いだろうとは思うので、未読の人には是非『東京BABYLON』を読んでから『X』を読んで欲しい。
(ついでに言うとCLAMP学園三部作も読んでおいて欲しい)


『X』は地球の命運をかけた世紀末の戦いの物語だ。
地球がどうなるか、それはもちろん気になるのだが、魅力的なキャラクターたちがどんな運命をたどるのかということのほうが、読者の関心をひく作品だと思う。
昴流たちのその後を見届けたくて『X』を読む人もたくさんいるだろう。


そんな『東京BABYLON』にとって姉妹編ともいえる『X』は現在、長い長~~~~~~~~い休載中である。
休載の理由等に関してはここでは触れないが、たいていのCLAMPファンは『X』の話題になるたびに「再開して……」と言っていると思う。
気付けば休載が17年くらい続いている状態だが、決して諦めたくないのでわたしも再開を日々祈るのみである。いや17年て。


さて現在、CLAMP画業30周年特設サイトの公式Twitterでは謎のカウントダウンが行われている。

10月26日に何らかの動画が公開されるようなのだが、これがどうやら『東京BABYLON』に関するもののようなのだ。


カウントダウンに関する最初の投稿↓


約20分後のわたし↓


「STARTって東京BABYLONのサブタイにあったじゃ~~~~ん、しかも1990って連載開始年だし、これはBABYLONなんかありますかね??な~んつってガハハハハ」みたいな「まぁ、そうではないのだろうけれど、そうだったら嬉しいな」くらいの気持ちで反応していたのだが、翌日の投稿でさすがに真顔になった。



『PAIR』もまた『東京BABYLON』のサブタイトルである。

ネット上でカウントダウンに対する反応を見ると、サブタイトルのみならず『東京BABYLON』単行本のイメージカラーおよび巻数との一致も指摘されていた。ほ、ほんとだ……

その後のカウントダウンも『OLD』『SAVE』『CALL』『SMILE』と『東京BABYLON』のサブタイトルの連続である。単行本カラーおよび巻数の数字の法則も破られていない。
もう発表が『東京BABYLON』のなにかであることはほぼ確定といった状態である。


わたしは『東京BABYLON』のリアルタイム読者ではない。初めて読んだのは刊行から数年経った文庫版だった。当時『ツバサ』『xxxHOLiC』が連載中で、CLAMPの過去作品に興味をもったのがきっかけだった。『xxxHOLiC』1巻で言及されていた「優しい陰陽師」が登場する作品と知って『東京BABYLON』を購入したように思う。
その後、他の作品もそれなりに読んだが、一番好きなのは『東京BABYLON』だ。
リアルタイムで追いかけることが出来ていたら、さぞ楽しかったろうと思う。ジュリアナ東京OVA記念イベント開催とか……すごすぎる……


というわけで、今回の企画で『東京BABYLON』の新たな展開に立ち会えるかもしれないと思うと、興奮を禁じ得ない。


テレビアニメ化だと嬉しいな、でも時代背景は絶対に変えないで欲しいな、原画展もいいな、過去に出たOVAや実写ビデオ版のBlu-ray化なんかもありがたいな、装丁の凝った新装版が出ても素敵だな…………などなど、妄想はとどまることを知らない。

とにかく、10月26日に動画が公開されるのを待つばかりである。










……で、個人的にはこの『東京BABYLON』の新企画とともに『X』が再始動してくれたら嬉しいことこの上ないな~~~~~~~~と思っている。
今回なにかしらの企画が発足することで、初めて『東京BABYLON』という作品に出会う人がたくさん出てくるだろう。
ただ、そのときに関連作品である『X』が休載状態なのはあまりにも勿体ないと思うのだ。

CLAMP画業30周年企画が動いている今なら、連載再開のタイミングとしても悪くないと思う。

↑こんな感じで……どうでしょう……


あるいは動画を再生すると『DESTINY』の単語の回りに他の文字が浮かび上がってきて『THEIR DESTINY WAS FOREORDAINED,1999.』の文章が出てきて『X』!!!ってなるのでもよいです。



とにもかくにも、なんらかの形で新しい昴流くんと北都ちゃんと星史郎さんに会えるのは確定なので、ひたすらに楽しみなのである。


来たれ、世紀末!!!!!

反省、そしてシンエヴァを思う

過去記事でNHKエヴァ投票にブチギレをかましたりしていたのですが。

アスカ役の宮村優子氏が本当にアスカを大事に思ってくれていて、惣流も式波も愛してくれていて、そのことを改めて強く感じることができたので惣流に投票したかった私の怨念は浄化されました。

みやむーが旧劇の台詞やってくれたのが嬉しかったね。

あと、みやむーが惣流と式波の区別をつけず「アスカ・ラングレー」と言ってくれたのも嬉しかった。

惣流に拘るあまり、愛を見失った己を猛省。

これでシンエヴァを観られれば、私を雁字搦めにしているエヴァの呪縛も多少は緩むはずだった。





……未だ呪縛……緩まず!!


以下、6月28日にしたためた文章


~~~~~~~~~~

6月27日。

本来であればシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されていたはずの日が終わった。

何事もなければ朝イチで観に行って、その後同行者と感想を話したであろう日だ。

ただただ哀しいし、一日も早く安心して劇場に足を運びたいと心から願っている。


新劇場版、序はソフト化してから視聴したので、劇場公開を観に行ったのは破からだった。
破は、かなりエンタメに振った作品だったと思う。
テンポのよさ、作画のグレード、カタルシス、とても面白い。アスカ可愛い。

Qのときに劇場で受けた居心地の悪さは忘れられない。
シンジくんが逃げ場なく苦痛にさらされるのが辛くて辛くていたたまれない。
最初に観たときはパラレルワールドかなにかが始まったのかと思った。
カヲルくんはシンジくんにとっても視聴者にとっても癒しだった。
未だに、破の次回予告のQが観てみたかったな、と思うときがある。時間は不可逆だ。


~~~~~~~~~~


公開日が決まったら上げようかとも思ったが。
今のところそんな気配は微塵もないのでとりあえず半端な文だが公開します。




さて。


こちとらは本当~~~~に、シンジくんの幸せを祈っているのだ。

Qのシンジくんが本当にいたたまれなくて、痛ましくて、しんどかった。

シンジくんをあんなに泣かせないでくれ、世界。


シンジくんの涙について。

旧劇場版のラストの泣きは碇シンジの生まれてはじめての心からの自己肯定の涙だ。

TV版ラストの笑顔が内面世界での描写で、現実世界での描写があの涙なのだと思う。

ところで緒方恵美氏の嗚咽の演技、本当に凄い。
旧劇は絵も音楽も声優陣の演技も何もかも凄くて何度観ても夢中になってしまう。




旧劇は本当に大好きなんですが、それはそれとして現実世界の碇シンジの自己肯定の笑顔が見たいと思っており、それが新劇に託す願いだ。


新劇場版がどう着地するのか、一日も早く見届けたい。

惣流に投票したかった

batch-runrun.hatenablog.jp



こんなブログを書いてはや一ヶ月。

エヴァンゲリオン大投票の投票期間が終了しました。


結局、惣流にも弐号機にも量産型にも投票させてもらえずじまいでした。



企画スタート当初は、さすがに投票リストガバガバすぎるじゃ~ん4月くらいには修正入るっしょ~~とタカをくくってたのだが、このオチであります!!


地獄!!



キール議長の名前の誤植くらいかな、修正入ったの……


キョウコさんと量産型は追加されると思ってました。儚い希望だった。


あきらめてほかのキャラクターに投票しようかとも思ったのですが、フェアじゃない気がして、結局誰にも何にも投票しませんでした。
何に対してフェアじゃないかって、惣流に対して。



とはいえ、終わったものは仕方ないし、怒りばかりを募らせては健康に悪そうなので、気持ちを切り替えて、結果発表は楽しく観たいな~~と思う次第です。
惣流映るといいな。




ちなみにせめて台詞部門くらい投票しようかとも思いましたが、最推し台詞が投票対象ではなかったので解散~~~~ \ ドッ /


笑えないよ!


ちなみに最推し台詞は
「あんたが全部私のものにならないなら私なにもいらない」
でした。


投票したい台詞が見つからないときは自由記述で投票できたんですが、「キャラクター名」をリストから選択しなければ投票できない仕組みで。
そしたらそのキャラクター名リスト、惣流がいないくてさ~~~~ \ ドッ /


笑えないよ!!